「分断されている」という表現があります。
多くの場合は、『情報格差』を表していると思います。
今回お話するのは、『社会の性質』による分断です。
1、新しい分断された社会とは
●『助け合う社会』と『足を引っ張り合う社会』
あなたの周りにはどのような人が多いと感じますか?
自分を助けてくれる人が多いと感じますか?
それとも自分を騙したり、害を与えたりしようとする人が多いと感じますか?
助け合う社会で生きていると感じている人は、
足を引っ張り合う社会で生きていると感じている人よりも
心理的に健やかに過ごせますし、行動しやすくなります。
逆に足を引っ張り合う社会で生きていると感じている人は、
不安も大きくなりやすいですし、行動もしづらくなっていきます。
さて、あなたはどちらの社会で生きていると感じているのでしょうか?
次の3つの質問について、考えてみてもらえたらと思います。
●あなたの家族はあなたを助けてくれると思えますか?
これに「いいえ」と答えてしまう人もいると思います。
しかし、これに「いいえ」と答える人がいるということについて、
「信じられない!どんな家庭なんだろう?」
と感じる人もいます。
人によって、「家族」の定義が異なり、それは基本的に大きくなるまで疑うことなく変わることがありません。
青年、成人したときに、運良く良い人と出会えた時に、
「うちの家庭が当たり前では無いんだ」
と気づけるかもしれません。
今はインターネットがあり、SNSで様々な情報が得られますが、
それらは偏った情報を得るようにできています。
結果、この世界は足を引っ張り合う社会なんだ、と確信してしまいがちです。
私のSNSの中ではみんなバク宙(手を地面に着かないで回るバク転)ができます。
でも、現実にはそんなことはありません。
Xで愚痴や不満をポストしている人は、同様のポストが見やすくなりますし、
共感してくれる、共感できるポストを見ようになり、
似たようなポストを表示するようにXが動いていくようになります。
そうすると、「みんな同じなんだな」と錯覚していくことになります。
●あなたの友人はあなたを助けてくれると思えますか?
私は仕事上、不登校の子どもたちと接することがとても多いです。
不登校自体は問題は無いと思っていますが、
その子に関わってくれる人によっては、「助けてくれる人がいない社会」だと認知していくことになってしまいます。
また、嫌な思いをしてそのような状態に陥ってしまった場合、
「大人への不信感」
「周囲の人への不信感」
を持ってしまい、足を引っ張り合う社会だと感じるようになってしまいます。
逆に学校生活で、「クラスメイトや友人たちと協力して何かを成し遂げた」という経験をすることができた人は、
助け合う社会、を実感することができます。
話が逸れますが、
通信制の学校への入学希望者が年々増えています。
私は本人たちが「自分のペースで成長していける」環境としてはとても良いことだと思っていますが、
「助け合う社会を実感できる」環境になり得るのかどうかが気になっているところでもあります。
●あなたの仲間はあなたを助けてくれると思えますか?
『仲間』とは、『利害が一致していることに対して、共に行動する人』のことだと思ってもらえたらと思います。
家族、友人と比べて、どうしても損得勘定が強くなる対象です。
これは、「助け合った方が自分にとっても良いよね」と思える人と共に行動しているのか
「とにかく自分に良いようになりたい」と思っていそうな人と共に行動しているにのか、
感じ方が変わります。
一緒に働く人が後者の場合、本当に職場がつらいものになってしまいます。
2、分断が始まる原因
先ほどの3つの質問に、すべて「いいえ」と答える場合、『足を引っ張り合う社会』で生きている可能性が高いです。
これは心理学でいうと『認知の歪み』と言われるような価値観にもなりますが、
そういう価値観になっていても仕方が無い状況というものも確かにあります。
●家庭環境
凶悪な事件などが起きると、多くの場合その人の成育歴に問題があることがあります。
遺伝子的要因などもあり、成育環境に限ったものではありませんが、
やはり心理的な成長、価値観の獲得は家庭環境に寄るものが大きいです。
高校生のとき私の友人が、
「入浴後のバスタオルは1枚を家族4人で使い回しているよ」
と話したとき、衝撃を受けました。(その後、その友人も衝撃を受けることに)
家庭で当たり前にしていることは、
それが当たり前だと思って生きていくことになります。
また、ある事件を起こした人が
「母親から、自分が欲しいものは力づくで奪い取りなさいと教えられ、育てられた」
という話もありました。
そういった家庭環境によって、自然と付き合いやすい相手も決まってきます。
成育歴は凶悪な事件を起こすほどの影響を与えることもあれば、
少し生きづらいと感じるような価値観や感性を与えることもあります。
●教育環境(学校環境)
幼稚園、保育園、小学校、中学校
ここで出会う友人、先生からの影響もとても大きいです。
例えば体育の授業で、立ち上がるときに「やー」と叫ぶという教育をしている学校もあります。
その学校で育った子たちは、体育の授業で立ち上がるときには「やー」と叫ぶのが当たり前だと思います。
別の地域の学校に転校しようものなら、体育の授業で一回は恥をかいてしまうことも少なくないと思います。
また、学校の先生や友人から強烈な不快感を受けた場合、その不快感が生涯に渡って心理的な影響を与え続けることもあります。
3、分断が進む理由
小中学校では『足を引っ張り合う社会』で生きていた人が、
高校から『助け合う社会』で生きていけるようになる人も少なくないと思います。
このように、途中で出会う人や環境によって、社会に対する捉え方が変わり、
生活する社会が変わることもあります。
ただ、残念ながらそのような変化があるどころか、余計に『足を引っ張り合う社会』であることを確信していくこともあります。
●対人関係の最も有効な方法を実践すること
自分と合わない人、自分にとって不快な思いをさせられる人の最も適切な対処法は
ゆっくりと距離を取り、離れていく
です。
最近は『○○ハラ』という言葉が多用されていますが、
これを煩わしいと思う人は面倒な相手からゆっくりと離れていきます。
例えば、ある社員とその上司がいたときに、
最初は上司も注意したり、指導したりすると思います。
ただ、その注意や指導に対して「パワハラ」という反応をしてしまったときに、
『助け合う社会』で生きている人は、この社員と距離を取ろうとしていきます。
なぜなら、指導を受ける側が助け合う気が無いような振る舞いに見えるからです。(そして、後述でもありますが、実際に助け合う気が無いことがほとんどです。)
その結果、
・誤ったことをしていても注意してもらえない
・助け合う社会の価値観や振る舞いを教えてもらえない
・助け合う社会の人との関わりを失う
という状況に陥ってしまいます。
●周りに残るのは自分に合う人ばかり
『助け合う社会』で生きる人は、
『足を引っ張り合う社会』で生きる人から離れていきます。
そして、
『足を引っ張り合う社会』で生きる人の周りには、同じ『足を引っ張り合う社会』で生きる人だけが残り、
その人とは別のところに『助け合う社会』で生きる人たちの社会が出来上がっていきます。
4、分断された社会で発生していること
分断された社会では、そのまま生活満足度の格差にもつながっています。
助け合える人がいる社会の人と、
足を引っ張り合う社会の人
どちらが、生活の満足度が高いかは、明白だと思います。
●足を引っ張り合う社会では不満が募る
SNSなどでも社会に対する不満を吐露している光景はよく見かけます。
ただ、それらの多くは『助け合う社会』で生きている人から見ると、
「そんなことないのにな」
「なんか可哀そうだな」
「関わりたくないな」
などと感じてしまいます。
そして、そういう人たちはほとんど、そういう発信にリアクションをしません。
リアクションをする人のほとんどが、『足を引っ張り合う社会』で生きている人だったりします。
そうすると、
「ああ、みんな同じなんだな」
と錯覚してしまい、『足を引っ張り合う社会』で生きている人は、さらに自分は間違っていないと感じるようになってしまいます。
●助け合う社会では課題は改善されていく
社会に不満を持って、それを吐露することしかできない理由は
自分一人では解決できないからです。
『助け合う社会』で生きている人は、周りの人の助けを借りて、なんとかして現状を改善していくことを進めていきます。
あなたは、『足を引っ張り合う社会』と『助け合う社会』どちらで生きていきたいのでしょうか?
5、『助け合う社会』で生きていくためには
助け合う社会で生きていくためには、いくつか必要なことがあります。
●自己肯定感を上げる
私は仕事上、自己肯定感が低くなっている人の話を聴くことが多いのですが、
自己肯定感が低いと
「自分に無償でやさしくしてくれるわけがない。きっと裏で何か考えているに違いない」
という反応をしてしまいます。
100%善意で助けてあげたり、教えてあげたりしていても、そのような疑う態度をしていると
「あまり関わって欲しくないのかな」
「無理させない方がいいのかな」
などと思われてしまい、少しずつ関わりを減らされていきます。
●他者の役に立つことを考える
これは、実際に行動する必要はありません。(できると尚良いですが)
自分が生活していく上で、周りにいる人に対して自分がしてあげられることを考えることから始めると良いです。
例えば、
・エレベーターに乗ったときに後から乗ってくる人のため開くボタンを押しててあげる
・バスや電車で席を譲る
・母親の手伝いをする
など、些細なことからで構いません。
そのときそのときで
「今ここで(誰かのために)自分にできることはあるだろうか?」
と考えることです。
ただ、前述の自己肯定感が低い人の場合は、
「自分が他人のためにできることなどない」
という前提で生きているので、助け合う(助け合える)気が無く、この行動自体も難しかったりします。
助け合う社会で生きていくためには、文字通り自分も助けるという行動をとる必要があります。
それができないと、テイカーと認識されてしまい、人が離れてしまう可能性があります。
しかし、大きなことができる必要は無いのです。
自分ができる範囲のことから、周りの人の助けになれる行動をとっていくと良いと思います。
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