今回は雑記です。
『哲学』というカテゴリーにしようかと考えていたのですが、気楽に読んでもらえたらと思って雑記カテゴリーにさせていただきました。
さて、今回の題材は高校物理で学ぶ『仕事とエネルギー』です。
今までもいろんなところで『行動力』や『行動する』ということについてお話ししてきましたが、
実はそこにこだわる理由の一つに『仕事とエネルギー』からくる、ひとつの考えがあります。
仕事とエネルギーとは
W(仕事)= F(力)x S(距離)
の公式から求められる、力学的エネルギーのひとつです。
ただの高校物理で習う公式のひとつでしかないのですが、
ある先生方の言葉で、なんとなくうす~くですが、ずっと私の考え方に影響を与え続けています。
今日はそんなお話しです。
高校のときの数学教師、T先生
私が高校生のときに、お世話になった先生のひとりで、数学のT先生のお話です。
T先生は授業中にいろんな雑談をしており、とても数学を教えることが上手だとは思えませんでした。
しかし、いろんな雑談が私には面白く、飽きない授業でもありました。
後にT先生のご自宅に遊びに行かせてもらえることがあったのですが、
とてもたくさんの本があり、驚いた記憶があります。
そんなT先生のある日の数学の授業の時に、きっかけはなんだったか覚えていませんが、
仕事の話になりました。
T先生「俺は物理で習う『仕事』が嫌いだから、理科ではなく数学の教師になったんだ。例えば大きな岩があったとして、それをどれだけ力いっぱい、時間をかけて押し続けても、1㎜も動かなかったら仕事量は0。なんか嫌だよね~。」
そのときのクラスの他の生徒たちがどう思ったのかわかりませんが、私はこの話を聴いたときに、
「あの公式を見てそういうこと考えるんだ。面白いな~。」
と感心してしまいました。
大学のときの教授の助手の先生、K先生
大学生のとき所属していた研究室とは別の研修室の先生だったのですが、
親しみやすく、すごく遊んでもらっていた、K先生がいました。
K先生はロボット好きで、ロボット工学を専攻していました。
研究室もそのような研究をしているところでした。
飲み会のときにK先生に「ロボットに興味を持ったきっかけは何ですか?」と尋ねたときに、
K先生「昔見た映画がすごく面白くてね、それに出てくるロボットが好きになったのがきっかけかな。」
と話してくださいました。
そのときに、私もひとつだけとても記憶に残っている好きなロボット映画があって、
「もしかして、『ショートサーキット』ですか?」
K先生「そうそう!それだよ!知ってるんだね。あれ面白いよね~。」
と、すっかり意気投合してしまいました。
そんなK先生と過ごしながら、私は大学を無事に卒業していき、
同時にK先生は北海道の大学に移籍していきました。
嬉しいことに移籍後も連絡させていただいていました。
あるとき、私が北海道に遊びにい行くことになったときに「そういえばK先生が北海道にいるな~」と思い、
「遊びに行っても良いですか?」とお願いしたところ、快くOKしてもらえました。
そうして、泊りに遊びにいったときの夜のことです。
いろんな理系の濃い~話をたくさんしました。
とても楽しい夜でした。
その話の中の一つに、仕事量の話が出てきました。
私が高校のT先生が言っていた仕事量が0になるのが嫌だと言っていた話をしたときに、
K先生「なるほどね~。僕はもっと哲学的な考え方もあると思っているんだよね。」
と話してくれました。
その話とは、
仕事量は必ずそれにかけた力と同じだけの結果しか得られない。
どれだけ効率よく仕事をしたり、熱心に仕事をしたりしても、結局得られるのは相応の結果しか得られない。
一見便利に見える機械や優れた英知があったとしても、人類史上全体で考えたときにやはり得られる結果というものは等しいものになるのではないか。
というような話です。
当時はこういう話がとても大好きだったので、いろいろ自分なりに解釈し、深く考えさせられました。
他にも、
世界は何もしなければ煩雑な方向に進むようになっている。
コードは何もしなければ絡まるように。
常に何かしらの力を使っていないと、現状維持すらできないんだ。
とか、「へ~、おもしろ~~」って思って嬉々として話を聴かせていただいていました。
私の今の考え方の柱になっていること
大きく2つの考え方があります。
1つは
自分が歩み続けている限り、何かしらの結果は得られる
という考え方です。
仕事量の考え方としては、「結果が出なければ、得られるものは0である」ということではあります。
ただ、ここで言う「結果」とは特定のものに限られません。
私は、子どものときにゲームをすごく一生懸命していました。
ゲームしながら、いろいろ試行錯誤していました。
「データの整理の仕方」「効率の良い攻略の思考」「練習して技術を身に付けること」「相手の動きを読み、対応する技術」
などなど。
これが、そのまま結果に反映されるとしたら「プロゲーマーとして活躍する」ということが想像しやすいのですが、
プロゲーマーでなくとも、いや、ゲームに関係ないところでも、
「データの整理の仕方」「効率の良い攻略の思考」「練習して技術を身に付けること」「相手の動きを読み、対応する技術」
の素養は役に立っています。
自分が歩み続けている限り、何かしらの結果は得られるという考え方です。
この考え方から、「失敗」ということに対する思いが大きく変わりました。
例え失敗することがあったとしても、そのときに目指していた結果に辿り着けなかったとしても、
何であれ、目の前のことに熱心に向き合っていれば、何かしらの結果には繋がるという確信を持てるようになりました。
そして、もう1つ。
「労力をかけずに得られる結果に、大きな価値は無い。」
「楽して儲かる」など、多くの人が憧れるものだと思います。
しかし、それを体現している人のほとんどが、やはり相応の労力をそれまでにかけているのだと思います。
また、「宝くじで当たる」というような所謂「一攫千金」を得た人は、お金はあるとしても、
人柄、知識、経験、周囲の環境などトータル的にみるとやはり「相応の価値」でしかないのだろうと思っています。
残念ながら私は知人に「一攫千金」を手にした人がいないので、これは想像でしかありませんが。
それでも、私の中ではそんなに間違った考え方では無いような気がします。
そうして、私はとにかく
「労力を厭わない」という思考が強く、
「失敗」「無駄な努力」は存在しないと信じることができ、
小さな努力でも、力を使い続けるということを日常に落とし込んでいます。
その結果どうにかして「行動」することが苦にならないようになりさえすれば、
誰でも相応の結果が得られるようになるはず、
と思えるようになっています。
そして、多くの人がそうなっていけるように貢献できたらと思っています。
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